NBUS(「性の聖書的理解ネットワーク」)の「性のあり方の変化へのお手伝い」発言へ異議を申し立てます!ならびに転向療法(コンバージョンセラピー)を正当化し権威づける「ナッシュビル宣言」に反対し、署名運動に反対します!


署名に関する趣意書

2022年8月18日

NBUSを憂慮するキリスト者連絡会

前 文


 神道政治連盟議員懇談会で配布された冊子や、統一協会教義など、社会に影響を与えうる人たちの間で、性的マイノリティを否定する言説が後を絶ちません。そして7月14日には、性の聖書的理解ネットワーク「NBUS」(Network for Biblical Understanding of Sexuality)が設立され、2017年8月に米国を中心とする福音派の指導者らが発表した「ナッシュビル宣言」を和訳し、性的マイノリティがその人らしく生きる事を否定する言説の根拠としました。

 NBUSの主張には「LGBTQで苦しんでおられる方々に寄り添い、聖書の神様の愛と救いを伝え、本人が願うならセクシャルマイノリティーの中のマイノリティーの方々の変化を助けるお手伝いをしていくことです。」(原文ママ)とありますが、このような恣意的な変化は不可能なことです。性的指向・性自認は他者によっても自発的にも変えられるものではありません。同性愛やトランスジェンダーそれ自体を「変化」させることはできません。NBUSの主張や「ナッシュビル宣言」への追随は多くの自死者を出した「転向療法」へと向かう危険があります。

 キリストの教えでは、わたしたちのありようはそのまま神様のギフトです。性のあり方それ自体を変えようというのは、そのギフトを否定することです。

 このような神様のご意思に背くこと、それはとりもなおさず人権を否定することです。そのようなNBUSの主張は、公になされてはならないものです。

 わたしたちはこのようなセクシュアルマイノリティを傷つける事態を憂慮し、NBUSに強く抗議します。教会でも社会でも、セクシュアルマイノリティがあたりまえに尊重されることを望みます。


1. LGBTQ+クリスチャンとかれらに寄り添う人たちへ


信仰とセクシュアリティ・性自認は次元の違う話です。

 信仰と自らの性やジェンダーのあり方は枠組みそのものが違います。つまり、性のあり方に信仰不足も熱心も関係しないということです。あなたの祈りや信仰の強い弱いによってあなたの性に関する痛みは消えはしません。しかし、わたしたちのさまざまな性やジェンダーのあり方が暴力やヘイトに基づいたものなら考える必要があるかもしれません。

 もっぱらわたしたちは暴力とヘイトに曝される存在です。神様は強く支配するものではなく、イスラエルが貧弱だったが故に選ばれたように、小さくされた側にお立ちになり、その正義を現わしてくださるお方です。神はわたしたちと共にいてくださいます。決してあなたの信仰が問題なのではありません。

NBUSの目的は自己責任の転向療法です。

 NBUSがキリスト新聞社へ出した「意見書 (2022.08.12付)」には次のように書かれています。「NBUSの目的は、LGBTQで苦しんでおられる方々に寄り添い、聖書の神様の愛と救いを伝え、本人が願うならセクシャルマイノリティーの中のマイノリティーの方々の変化を助けるお手伝いをしていくことです」(原文ママ)。NBUSは転向療法という言葉はひと言も使ってはいませんが、事実上彼らの第一の目的は明らかに転向療法です。

 しかも「本人が願うなら」と自分たちの目的のための手段化であるにもかかわらず、責任をすべて本人に押し付け、転向療法中や療法後の一切の責任は取らず自己責任だと言っています。このような欺瞞に満ちた無責任な態度を見逃すわけにはいきません。NBUSの行為は、キリスト者として目の前の人間と真剣に向き合う姿だとは言えません。

 また「LGBTQで苦しんでおられる方々に寄り添い」と主張していますが、実際は「寄り添い」とはかけ離れた人間の手段化であり恐るべき欺瞞です。この手段化は人間の尊厳への冒涜であり、ひいては全ての人間存在の尊厳への冒涜と言えます。そして、神の似姿である人間の尊厳の冒涜は神を冒涜することなのです。

転向療法(コンバージョンセラピー)とは?

 転向療法は1990年代から今日までアメリカ右派福音派のなかで吹き荒れた性的指向矯正プログラムです。同性愛が異性愛に変わること、またトランスジェンダーが出生時に割り当てられた性に留まることができるのを売り文句に、多くの悩み痛みを負ったLGBTQ+クリスチャンを食い物にして行われてきました。

 この療法には、精神医学・心理学上エビデンスがありません。手や性器に電気ショックを与えたり、同性愛的エロティック刺激提示と同時に悪心誘発剤を投与するなどの身体的・精神的拷問を「嫌悪療法」として無免許医により行われてきました。

 現在では「嫌悪療法」は禁じられたため、カウンセリングや精神療法という名目で、「霊的」同調圧力と「社会技能訓練」という名のジェンダー・ロールの強制や自己暗示などの強権的で強制的な「療法」が行われています。もちろん、これらにもエビデンスはありません。

 カナダでは転向療法は法律で禁止されており、米国、英国の医学者、科学者、及び政府機関は、転向療法に対し「潜在的に有害」であると懸念を表明しています。米国外科医のデイビッド・サッチャー博士は2001年に「性的指向を変えることができるという科学的証拠はない」との報告を出しました。

転向療法は命の問題です。

 多くの転向療法経験者はしばしの間「異性愛者である」とか「トランスが癒された」と主張しますが、そのほとんどは自己暗示が切れると、重いストレスに耐えられず本来の自分と再び向き合うことになります。転向療法に失敗した自責の念と、教会により増幅されてしまったホモフォビア/トランスフォビアに苦しみ、信仰者として間違っているという思いに苛まれ、それでも本当の自分として生きたい生身の葛藤などが相混じり、うつ病や人格障害などの重い精神疾患に悩んだり、転向療法中に自死する確率も高いことが報告されています。転向療法は命にかかわる問題なのです(詳しくは映画”Pray away”を参照ください)。

NBUSが決して語らないホモフォビア/トランスフォビア。

 世界保健機関(WHO)は同性愛を「病気」のリストから外し、同性愛嫌悪は社会的病理と捉えられるようになりました。性同一性障害も「精神疾患」から外れ、性の健康の状態を表す「性別不合」となりました。LGBTQ+の生きづらさは、本人が内包しているものでも、そのセクシュアリティやジェンダーそのものに生来的に付与されたものではありません。社会により負わされたものです。ホモフォビア/トランスフォビアも同じように、構造的な差別を内包した社会がわたしたちに負わせる負の感情です。

 これは、アンチLGBTQ+の人々だけが持ち得るものではありません。わたしたちのほとんどは異性愛者、女性、男性として育てられます。その背景にある、男女二元論、強制異性愛生殖主義、家父長制的価値観、ホモフォビア/トランスフォビアはそれらから外れる者の姿への嫌悪ですから、家庭や学校や職場などで知らず知らずのうちにLGBTQ+当事者も刷り込まれてしまう負の感情です。

 特に難しいのは内在化されたホモフォビア/トランスフォビアと対峙することです。社会や周りが求める「人間存在」を演じる煩わしさも、カミングアウトして外的なホモフォビア/トランスフォビアに曝されて生きるストレスも変わりはありません。

 そして、ホモフォビア/トランスフォビアは祈ったところで解決はされません。ましてや聖書を口実に性的指向や性自認を変えようとする人々に任せても、良い結果は産みません。むしろ、信仰の問題ではない事柄を信仰の問題にすり替えることが多くの問題を生み出します。

ありのままのあなたを神様は愛しておられます。

 目の前の傷ついたLGBTQ+の人と向き合い、寄り添うために必要なのは転向療法ではなく、内在化されたホモフォビアやトランスフォビア、人々からのゼノフォビア(よそもの恐怖症)からの解放のための関わりを、ゆっくり時間をかけ祈りのうちに同伴することなのです。

 転向療法は性的指向を変えて、その人の本来的な自分を殺し、聖書の名の下で「違う人へと作り上げる」非人道的行為です。それは福音ではありません。

 性のあり方は神からのギフトです。自分にフィットするライフスタイルや、性表現、ジェンダー・ロールの選択は神様の創造の豊かさです。自分と違う性的指向や性自認を持つ人々との出会いと共生は、今も続く神様の創造の業に参与していると言えます。

 神は何者かになることを条件とはせず、無条件でありのままのあなたを愛しておられます。なぜなら、神が先にわたしたちを愛してくださったからです。性のあり方を変える必要はありません。変わらなければならないのは、神の創造の業であるあなたの性のあり方を否定し、神の名を騙り、聖書を恣意的に用いてあなたを変えようとする人たちなのです。

 「寄り添う」とは内在化されたフォビアを取り去るために、辛抱強く同伴することです。他者承認や自己受容の過程にじっと同伴することなのです。ありのままの性のあり方を肯定されてこなかった人が、もうこれ以上傷つけられてはならないのです。詩編作者はこのように歌っています。「見よ、兄弟が共に座っている。 なんという恵み、なんという喜び(詩編 133:1 新共同訳)」。


2. 転向療法を正当化し権威づける「ナッシュビル宣言」への署名運動に反対します


あなたの署名が傷つけられた人々を勇気づけます。

 傷は愛で覆わなければ決して癒えることはありません。ましてや自分の性的指向や性自認を踏みつけにされた傷は、支え合うことなしに癒えることは決してありません。

 傷つくのはLGBTQ+だけではありません。家族や友人、教会の仲間など、NBUSの言動を憂慮し傷つく人は多くいます。

 キリスト者は日本の人口のたった1パーセントです。でもこの1パーセントの中に傷つき苦しむ仲間がいるのなら、わたしたちは目を背けたり、知らなかったことにすることはできません。一人の痛みはわたしたち全員の痛みなのです。わたしたちは教派は違えども、キリストの体である教会の成員、つまりキリストの肢体だからです。

署名をためらわれている方へ。

 この署名は、あくまでもNBUSの非人道的活動への抗議と、傷つけられ小さくされたLGBTQ+を応援することを目的としています。趣意書すべてに同意ができなくても、上述の趣旨に概ね賛同いただける方は、ぜひご署名の上、コメントを添えてくだされば幸いです。

 署名終了後には「要望書」をNBUS宛に送付し、いただいたコメントも参考にさせていただきつつ、更なる働きを展開してまいります。

 この署名によってセクシュアリティが特定されたり、アウティングされることはありません。実名でなくてもTwitterのユーザー名や洗礼名など、ご自身を表す名前で構いません。

わたしたちの願い。

 わたしたちの願いは、これ以上聖書の名の下で傷つく人が出ないということ。

 そのためにわたしたちはNBUSの主張や言動の問題性を指摘していきます。

 この活動を通して、多くの人が傷から立ち上がり、セクシュアリティやジェンダーを問わず、神の創造の豊かさを互いに喜び合える環境を作り出せると確信しています。

 わたしたちキリスト者は、共に喜び、共に苦しむことに招かれているのです。どうぞ、今苦しみの中にあるLGBTQ+のために、そしてわたしたちの働きのためにお祈りください。

 「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい(ローマの信徒への手紙 12:15 新共同訳)」


◆賛 同 人◆

新井健二(友愛キリスト教会牧師)

梅川雅嗣(カトリック大阪大司教区信徒)

北口沙弥香(日本基督教団愛川伝道所牧師)

Ken Fawcett(イクトゥス・ラボ)

高野伸哉(日本基督教団氏家教会信徒)

小浜耕治(​​日本基督教団いずみ愛泉教会信徒)

白久弘達(日本基督教団九州教区無任所教師)

高田嘉文(福音派教会信徒)

高橋美由紀(プロテスタント)

高松尚志(カトリック札幌司教区信徒)

只浦悦子(カトリック札幌司教区信徒)

寺田留架(約束の虹ミニストリー代表)

富田正樹(日本基督教団徳島北教会牧師)

永田克自(日本基督教団北海教区性差別問題担当委員・島松伝道所信徒)

永原アンディ(ユアチャーチ協力牧師)

早川かな(約束の虹ミニストリー)

細川隆好(ゲイ・イエスのフォロワー)

前田 理(カトリック長崎大司教区信徒)

箕浦信勝(東京外国語大学・カルケドン派教会)

美好ゆか(福音派献身者)

矢部 文(セント•ポール&セント•アンドリュー合同メソジスト教会信徒・在米国ニューヨーク)

山下直輝(日本ハリストス正教会啓蒙者)

Ryoko(プロテスタント)

ルカ小笠原晋也(カトリック東京大司教区聖イグナチオ教会信徒・LGBTQみんなのミサ世話人)