小浜耕治
私が教会に通い始めたのは東日本大震災から1年たった2012年春、受洗したのはその一年後です。10年しかキリスト者の群れの中にいません。そもそも信仰を持ちたいと思ったのは、震災を経験し、本気で生き方を考えないといけないと思ったからです。性のあり方と社会生活に引き裂かれることの多いこの世界で、そんなことに関わっている余裕はないはず。「わたし」の生き方として統合していく努力をしていきたい。そのためには神さまにゆだねてみようと行動したように思います。
訪れた教会は、以前から教区のセクシュアリティに関する講演会などの企画に深く関わっていて、その年の総会の方針にすでに「性的マイノリティ」について取り組む旨が決議されていました。講演会には私も協力していたので、礼拝初参加後の挨拶の時には、牧師さんに驚かれました。ほとんど初めからカミングアウト状態になっていたわけです。信徒の皆さんは優しく迎え入れてくださり、私の証を受け止めて下さいました。教会は私が私であるための新たな居場所になりました。
しかし、キリスト教と性のあり方との整合性は教会の中に留まり、少し外ではやはり引き裂かれたままで、そのことに疑問を感じる人も少ないように思えました。性のあり方を受け入れるか?受け入れないか?の対立があり、その大きな隔たりの間には、日常的には無関心で時折触れる情報にその場によって反応する人たちがたくさんいる。そんな中では、「わたしの生き方として性のあり方と生活を統合していく」信仰はどこへ向かうのかがよく分からなくなっていたように思います。神さまはいったい何処におられるのだろう?と不安でした。
社会では、折に触れて多様な性のあり方を否定する主張が繰り返されます。そのたびに反対の意思表示はするものの、それが信仰を深めるものになっていただろうかと、今考えています。
5年前にナッシュビル宣言が発表されたのち、アメリカではこれに対して多方面からの批判がなされ、様々な信仰のあり方が問われてきたことを知りました。信仰は生きることそのものであり、性のあり方もまた生きることそのものだということと、それが現代的にどのように宣べ伝えられるかについて議論されてきたということを知りました。わたしの知らないところで、神さまは複雑な道を示し、そこを探りながら歩いてきた人がいたのです。かの地の政治的な動きで見えた「対立」は、その皮相に現れたものに過ぎなかったと知りました。
日本でも自治体や国レベルでも制度作りが始まる中で、その皮相とそっくりな対立の構図が見て取れました。地元での社会活動で、どうにも制度作りが進められない経験もしています。私には、相手を押し切ろうともがくことしかできません。あるいは進められる部分で前に進むことを選んでいます。そこでは信仰はあまり深められず、私は引き裂かれたままだったように思えます。しかし、深められなかったのは、私が命を賭して取り組んでこなかったからではないかと、今になっては思います。傷ついている性的マイノリティにほんとうによりそえていたのか?と自問します。
NBUSに怒り、賛同者の皆さんと趣意書を作りながら、そして次にどのように進めていくかを聴き、示されたものに触れながら、命を賭して信仰を深められるチャンスかも知れないと思いました。神さまが私をそこに置いてくださったのだと感じました。
会のみなさんとの働きにより、傷ついている性的マイノリティと共に、命を賭すとはどういうことなのか?信仰とは何か?ここにおられた神さまに出会えるか?問われていることに向き合っていこうと思います。私の時間の中で、真を尽くしながら。
( 了 )